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『魚沼神社(上弥彦神社)』
それを見た謙信公は将兵たちに「神々が関東へ向かう姿が見えた、我々の正義の戦いは上弥彦大明神が守ってくれる、この度の戦は勝つであろう!」と将兵の意気をあげました。関東での戦いの最中もいざというときは神の御旗があらわれ、その導きで大勝利をおさめたそうです。
魚沼神社が戦いの神で武家から崇拝されていた事と、上杉謙信公の強さは正義のもと神に愛されたがゆえと考えると納得できますね。
第二次世界大戦時のお話です
。 九州出身の軍曹が中国大陸で転戦に次ぐ転戦をしているときに、真っ暗やみの夜に行軍をしていて部隊の一番後ろを歩いていた軍曹は疲労と眠気でよろめいた拍子に道脇の空井戸へ転落してしまいました。暗闇の中一番後ろにいたので隊の誰にも気づかれず、井戸から這い上がることも出来ず、ここで終わりなのかと絶望に打ちひしがれている時です、井戸の上に明かりが見え白い着物の白髪の老人が現れ助け上げられました。老人は「ついてきなさい。」と一言だけ発し提灯で道を照らしながら歩きだしました。その提灯には「上弥彦神社」と書かれていて軍曹は忘れないよう何度も頭の中で繰り返し心にとどめました。 老人について歩き続けると人家の明かりが見え、自分の所属する隊が体を休めていました。
ホッとしてお礼を言おうと老人がいた方を見ると、もう姿がありませんでした。
軍曹は不思議に感じ、戦地から故郷の父親に手紙を送り事の次第を説明して提灯にあった「上弥彦神社」を探してお礼まいりを自分の代わりにしてほしいと頼みました。 父親は弥彦という地名から新潟県ではないかと新潟県庁に問い合わせ、小千谷市に「上弥彦神社」があることを知って、わざわざ九州からお礼参りに訪れ神主の家に立ち寄り、この話を告げて帰ったそうです。
※参考文献 小千谷の伝説 五十嵐秀太郎著 恒文社
『魚沼神社(上弥彦神社)』
むかしむかし・・・・
皆さんもご存じのかの上杉謙信公も上弥彦神社を深く信仰していたと云われています。謙信公が越後の守護になり、関東管領という職について何回も関東へ出陣しなければなりませんでした。その頃、越後をおさめる役所は直江津にあり、関東に行くには高田街道を通り関東街道へ行くのが主流でした。その2つの街道を結ぶ地が小千谷で、信濃川を渡る大切な渡し場でした。あるときいつものように上弥彦神社に立ち寄り、社の森で将兵を休ませ、主だった武将を連れて社殿に入り戦勝祈願を行いました。儀式を終えて拝殿のきざはしに謙信が立つと、田の原のはるか彼方の霞の中を天香山命(あめのかぐやまのみこと)が十八末社の神々を引き連れ関東へ向かう姿がハッキリと見えたそうです。それを見た謙信公は将兵たちに「神々が関東へ向かう姿が見えた、我々の正義の戦いは上弥彦大明神が守ってくれる、この度の戦は勝つであろう!」と将兵の意気をあげました。関東での戦いの最中もいざというときは神の御旗があらわれ、その導きで大勝利をおさめたそうです。
魚沼神社が戦いの神で武家から崇拝されていた事と、上杉謙信公の強さは正義のもと神に愛されたがゆえと考えると納得できますね。
第二次世界大戦時のお話です
。 九州出身の軍曹が中国大陸で転戦に次ぐ転戦をしているときに、真っ暗やみの夜に行軍をしていて部隊の一番後ろを歩いていた軍曹は疲労と眠気でよろめいた拍子に道脇の空井戸へ転落してしまいました。暗闇の中一番後ろにいたので隊の誰にも気づかれず、井戸から這い上がることも出来ず、ここで終わりなのかと絶望に打ちひしがれている時です、井戸の上に明かりが見え白い着物の白髪の老人が現れ助け上げられました。老人は「ついてきなさい。」と一言だけ発し提灯で道を照らしながら歩きだしました。その提灯には「上弥彦神社」と書かれていて軍曹は忘れないよう何度も頭の中で繰り返し心にとどめました。 老人について歩き続けると人家の明かりが見え、自分の所属する隊が体を休めていました。
ホッとしてお礼を言おうと老人がいた方を見ると、もう姿がありませんでした。
軍曹は不思議に感じ、戦地から故郷の父親に手紙を送り事の次第を説明して提灯にあった「上弥彦神社」を探してお礼まいりを自分の代わりにしてほしいと頼みました。 父親は弥彦という地名から新潟県ではないかと新潟県庁に問い合わせ、小千谷市に「上弥彦神社」があることを知って、わざわざ九州からお礼参りに訪れ神主の家に立ち寄り、この話を告げて帰ったそうです。
※参考文献 小千谷の伝説 五十嵐秀太郎著 恒文社